★平成の大合併で生まれた富士川町

町勢については富士川町役場HPをご覧いただくとして、こうやって見るとまるっと富士川と南アルプス前衛に囲まれた田舎の町という感があります。実は静岡県にその昔、富士川町という自治体が存在していました。庵原郡にあった富士川町でして、富士川舟運(武田氏と徳川氏時代に富士川を物流の要路として高瀬舟で物資を運びました。上り塩、下り米といい、甲信越方面の米が駿河湾経由で江戸へ樽廻船で運ばれ、代わりに塩が富士川を俎上しました。長野県塩尻などはその地名の名残と言われ、富士川町は河岸と呼ばれる港町として富士川水運全盛期に一大拠点でした)と呼ばれる河川水運の静岡側の拠点の一つであった岩淵河岸があったりします。

富士川下流から上流の自治体が町名を踏襲すると言う不思議な現象ではあります。

★ダイヤモンド富士のスポット

富士川町は厳冬となる正月ともなると、多くのカメラマンが訪れる場所でもあります。ダイヤモンド富士と呼ばれる、富士山から日が昇るという現象が観測できます(写真はダイヤモンド富士ではありません)。ご紹介した柚子の里である、穂積地区(小室)が特に有名です。千葉サドルさんに依頼した時に、実は今のキャラの富士山耳はノーマークでした。というのもあまりに地元民は富士山に慣れ親しみ過ぎていて、水や空気と同じ存在だったために、富士山の価値を忘却していた感があります。千葉氏側からの富士山オファーで改めて富士山の威力を痛感しました。

★落語の隠れた聖地

北斎の甲州石班沢 (かじかざわ)
北斎の甲州石班沢 (かじかざわ)

富士川町は富士川舟運の身延参詣などでも江戸時代から栄えました。葛飾北斎の富岳三十六景の石班沢(かじかざわ)は富士川で漁をする様子を描いています。

その鰍沢(富士川町)は落語の鰍沢の舞台となった地でもあります。この鰍沢、江戸時代から明治にかけて活躍した、大名人と言われた三遊亭圓朝が、「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」の三題噺で即席に作ったとも、一晩で作ったとも言われています。(河竹黙阿弥による後半の台本があるという説も)。三題噺とは寄席でお客から、3つの題目を貰い、必ずオチを付けて落語に仕立てるというものです。

 

身延山の参詣の帰りに大雪で道に迷った旅人が、山中の一軒家に宿を頼む。そこにいたのは妙齢の美人。卵酒を勧められて話をするうち、お熊と名乗るその女が吉原の遊女であったことが分かる。

旅人は疲れて横になる。お熊は薪を取りに外出する。帰ってきたのがお熊の亭主、残された卵酒を飲んで苦しみ出す。お熊は、旅人に毒入りの酒を飲ませて殺し金を奪い取る算段だったのだ。毒が回った身体で必死に逃げる旅人。たまたま持ち合わせていた身延山の毒消しの護符を雪とともに飲み込み身体の自由が利くようになったが、そこへお熊が鉄砲を持って追いかけてくる・・・・・

 

というストーリーが鰍沢。明治の四代目橘家円喬はこの鰍沢を好んで演じ、迫真の演技と言われたとか。

 

実はこの鰍沢。花火・後家・峠茶屋という題目で「晦日の月の輪」という二席目(続編)があると言われています。ちなみに鰍沢は「鰍沢雪の夜噺」とも言われます。